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20代おっさん女子が離島に移住するまで

名前しか知らなかった小さな南の島に初めて上陸してみたら、
居心地が良すぎて、帰りの飛行機の中で「女ひとりで移住する!」と決めた人です。

兵庫県で生まれすくすく元気に育ち、
大阪で初めての社会人生活を送った私が
沖永良部島(鹿児島県奄美群島)に移住するまでに
どんな背景があったのか、なぜ移住したのか、きっかけなどをお話します!

沖永良部島の存在

私が大学生の頃に通ってた居酒屋があり、お互い常連だったお客さん達とみんなでよく飲んだりしていたのですが、そのうちの一人の方が沖永良部島出身だと聞き、それがこの島の名前を知るきっかけでした。

その沖永良部島出身の方はすごくあたたかくて、人付き合いをとても大事にしている素敵な方で、「故郷の海がものすごく綺麗」「クジラもウミガメも見れる島」など、飲みながらちょこちょこ島の話もしてくれました。

大学生の私はそれを聞いて「沖永良部島かあ、焼酎も美味しそうやし行ってみたいなあ」と思いはしましたが、当時の友達との旅行先は海外や日本の都会に行くことが多く、南の方は沖縄県だけで満足していました。

念願の都会ひとり暮らし

社会人になると同時に初めて兵庫の地元を出て、大阪で念願の一人暮らし。

もともと都会に憧れがあり、
全国から人が沢山集まっている場所=出会える人が多くて楽しそう!
自分の世界が広がりそう!
と思っていました。

実際に社会人になり病院で管理栄養士をしていましたが、
コロナ過だったこともあり誰にも会えず
仕事内容もハードでさらには休みも少ないブラックな状態でした。
このままこの職場にいても良くないと思い、退職してからはすぐに超ホワイトな企業で営業事務をしていました。

事務仕事の内容も楽しく、いつの間にかコロナも明け、
何よりも会社の人間関係が凄く良くて続けていたのですが
大阪市内のど真ん中で暮らしていると、いつ・どこにいっても人!人!人!に疲れ、沢山の建物たちで圧迫されている、息苦しさを感じるようになりました。

休日に日帰りで「きれいな海に癒されたい!」と思い、大阪から行こうと思うと車でも電車でも数時間もかかる現実にうんざりしていたのを覚えています。

沖永良部島に初上陸・即移住決意

人と建物の多さに疲れ、ストレスで心身ともに疲弊し、
「ストレスフリーで、きれいな海に近いところに住もうかなあ」と考えた時
ふと沖永良部島のことを思い出しました。

「離島を一度見に行ってみよう」と決めて、2022年7月の頭にまずは奄美大島に行ってみました。
感想は、「海は凄くキレイ!でも、思ったよりも何でも揃っていて暮らしとしては普通とそんなに変わらんのかな?」と思いました。

その後、同じ7月末に沖永良部島に初上陸しました。
沖永良部島は、
コンビニが町に1つ、2つしかなかったり、あっても23:00に閉まったり
ちゃんとした洋服屋さんもない、ドラッグストアも島に2つしかない。
信号も数えられるほどしかなく、本当にビックリしました!

3日間の旅だったのですが、島の人が色んな場所に案内してくれて
島の大自然をいっぱい見せてくれ、その美しさと力強さに魅了されました!

島の人は、初めて会った私に家族のように接してくれたり、
飲み屋さんでは知らない人とも全員で乾杯したり、
沢山のお土産を私に持たせてくれたり。
本当に人があたたかくて感動しました。

帰りの飛行機で、この島を離れることが寂しくなり涙が出てきました。
「ありのままの大自然の美しさ」と「島人の深いあたたかさ」が大好きになり
この沖永良部島にすぐに移住する!と決めていました。

それからはほぼ毎日休むことなくダブルワークで引っ越し費用を急速に貯金をして、
2022年10月1日にこの沖永良部島に移住してきました。
今は毎日島暮らしをゆるーく楽しんでいます。

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